古代に、九州福岡県朝倉郡夜須に都があった事が判った
その名は太宰府ではない、遠の朝廷と、呼ばれたのは、夜須都、である事が、暦研会で、発表した。都、と呼ばれるのは?遠の朝廷(宮廷)でなくては、王の祭祀が、行なわれないからである。この都と王の祭祀は、残念ながら、太宰府では、なかった。
斎名女帝も、この辺に、宮があったと聞くがと、尋ねている。この宮が遠の朝廷紀元前111〜50年、に、存在していた。
これは夜須の地名の、祝詞でのる、安のことである。解説文
ウガヤフキアエズ 超古代文明は漢の頃七十二代の帝が、泰山にまつられている、ウガヤフキアエズ文明は唐国に文字を授けた。ビン越王の文明もある。『上記』

ウガヤフキアエズ は武夷から、漢の武帝の裏切りにより、
民を引き連れて、船で、渡ってきたのが、有明海河川を登った、先にあった、 干潟というところだった。
それが、別府大学工藤教授(吉野ヶ里)の調査、「城山遺蹟」の名の類似から、「古事記」に載せた武夷命から、出土した土器の出元が、児島宮の先祖と、結びついていた事が、児島宮によって、「考古学のおやつ」国立歴史博物館掲示板、に、発表された。

証拠として取り上げたのは、雲南しかない?武夷穴窯土器で焼成された、龍窯であった。

別府大学工藤教授と生徒の調査、「城山遺蹟」& 雲南武夷のこしき  城山遺跡から多数出土していて、日本最古の磁器 紀元前百十一年~紀元前 五十年前

  

 城山遺跡の甑

c0095642_13375674.jpg 梨の木遺跡の甑

  c0095642_13242730.jpg 雲南の甑 c0095642_13252423.jpg

都夜須の松延(梨の木遺蹟出土)こしき、は雲南しかない?武夷穴窯土器で、ウガヤこと平山で相似した。
ここ、吹田「鷲尾古墳」から、武夷の王冠が出土していた。

これにより稲作が、日本九州に伝播し、九州制度(封建制度)に因み、九州となづけたのは?竹枝(チクシ)の名の基になった。

九州となづけたのは?竹枝(チクシ)の名は武夷から、移った 年代(紀元前111年と附合する。
「三国志」司馬透による、漢の武帝の歴史書である。
ビン越とあり、夏王朝の、?丑王のウガヤであった。ひらやま、とは中国では神の名ymeのことである。

宮崎や鹿児島説は、神や天皇とは何も関係゜附合していません。

今年、旧名、夜須の「小隈遺蹟」運動公園予定地から、発見された、五基の登窯は、武夷穴窯龍窯であるが、学者ら、知識がなく、判断は不可能である。文化庁が調査にあたるが、
捏造するのは、見えている?  
龍窯は世界中で雲南夏王朝しか、作ってはいないからである。


天子が与えてくれた、甑は、文明を切り開いていた? 2014/4/13日作、 こしきは、生米を蒸す、用具として、簡単に出来た、のでは、なく天が与えたものであった。闘うに勝つには、短期戦では、決しない、長期間かかるので、戦略には、物資が無くては、負けてしまう事にある。ここに、闘うに勝つには、食べ物が、兵の勝敗に関わる。そこで、天子は、甑で蒸した後、天の力を計って、天日で、干して、余分な水分を抜きとった。使う時に簡単に戻せる方法であった。すべての水分のあるものは、時間が過ぎると、腐敗、腐れてしまう。これには、余分な、水分がある為で、それを、長く持たせるように、「ぬのえ算」で、計ったという。
丸く先長ーく、後の天円地方、のように?
酸素と水分を抜く?たべる時に、戻す、酸素と水分足すだけで、すべてができる。同形には、日本の、甘酒、発酵、ザボン漬け、味噌、果物類加工品

余分な水分を抜き、とった類には、稲作の方法がある。 いかなる植物も、こうして、順序がある。雨が始まり、風が送り、太陽が、実らせて、使う人農家が干して、再度、人が水分で、蒸して、又、人が循環させる。ぬのえ

「布江算」

おいしいものは、脂と糖分で成り立っている、という。ラーメン、うどん、てんぷら、寿司、そば、

尚、税金、政治、憲法類は、人から、横取りするものでしかない。作りには、人は税金、政治、憲法類は、必要か?いらぬものは、抜き取れ?

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