斎天の儀式
さいてんの儀式、は

天地(扶桑)を結ぶ

人々を空地に集めるにはまず「中」を建てる。群衆は「中」を見て速やかにそこへ向かっていく。群衆は四方より寄り集まってくるので、「中」(即ち旗)を建てる地は中央になる。衆を陳(陣)に並べ、 「中」を建てる酋長或は貴族が常に中央に位置するため、その左右に並んだ群衆は中の所在地を見て、直ちにそこが中央であることを知る。このように、「中」はもともと標識であった。宇宙軸



神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種を、もつ、すべての草と、種のある実を結ぶ、すべての、木を、あなたがたに与える。

たいらけく、やすらけく、祝詞

この世には、土蜘蛛(どぐも)という、天地から追放された、捨てられた犬猫のように、神子、人には、なつかず、人に害を及ぼす存在がある。荒ぶるものたちおば、なくし、集め、ところが、なかなか、なつかない、者たちは、近寄っては、こないのは必然てある。どぐもは、国土の中には、居なかった魚ボラ、ように、増えて増殖してしまう、困るのは、今まで、川の中に生きていた魚達は、ほおって、おけば、これでは絶滅してしまう。これは、どくも、も、野生の動物、イノシシや熊、猿、も同じ、人間どもは、柵をしたりするが、その数は、増えて多く、手のつけようが無い。之を絶やす、のは、神のお心に、逆らう事にも生りかねない。どぐも、も鳥獣の餌にもなっている。これは自然の習いでもある。桓武帝は、講じられ人は違うと、土を、耕させ、農業をお与えになり、逆らう者達おば、処分殺されずに、生きて、活きられるように、させられた。ここに、人々が集まる座を、拠所とされたのが座の始まり。

こんにち、人間.?どぐも、か、放ちたる、如く、人々の生活を、混乱させるのは、どぐも、神の基から離れて、我々は、新たな、行き方、宗教族を、つくり、神には、従わないという、増えた生き物で、頭を悩ませる存在になっていた。有ろうことか 、いままでの、拠所座に、すわり混んで、憲法とか、納税義務、しないと、破滅させ、自分たちは、今までの、ようには、ならないと、贅の限りを尽くし、いよいよ、どぐも、の本性を現した。

 

国旗は幕末日の丸は標識児島宮、「中」で、作らせたのが始まりです。群衆は四方より寄り集まってくるので、「中」(即ち旗)を建てる地は中央になる。

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